フェリシアの言葉を聞き、エルバートとルークス皇帝は両目を見開く。
まだ混乱している、のか?
「フェリシアよ、我のことは分かるか?」
「ルークス皇帝……?」
ルークス皇帝のことは分かるようだな。
「フェリシア、私はエルバート・ブランだ」
「エルバート・ブラン?」
フェリシアはその名前を口にした瞬間、頭痛が起きて意識を失い、くたっとなった。
「フェリシア!!」
エルバートは叫ぶ。
「エルバートよ、これより酷な事を言うが」
「フェリシアの身体は大事ないようだが、どうやら頭を打ちつけたこと、そして魔の影響で一部の記憶を」
「お前の記憶を喪失したようだ」
エルバートの瞳が揺らぐ。
まさか、そのような、嘘だろう?
エルバートは切なげな顔でフェリシアを強く抱き締める。
「フェリシア……」
その後、皇帝の間に皇帝の側近、ディアム、兵達が駆け入り、
ルークス皇帝が魔に襲われエルバートと共に浄化したことを伝え、
念の為、ルークス皇帝も共に皇帝専用の医務室へ行くこととなった。
そしてルークス皇帝とエルバートは大事なく、フェリシアは頭に包帯を巻き、ベットで安静となると、
エルバートはルークス皇帝の前に跪く。
「ルークス皇帝、責任を取り、私は軍師長を降ります」
「エルバートよ、その必要はない。軍師長を辞める事は、許さん」
「しかし……」
「ただ、このままでは示しが付かないと我の側近が不祥事としてお前の両親に通達をした」
「もうじき、宮殿に来るによって対面し、起こった事を全て伝えることとなる。良いな?」
「承知致しました」
* * *
やがて、エルバートの父であるテオと母のステラ、そしてアマリリス嬢が馬車で宮殿に到着し、客間に案内され、待機の状態になったとのことで、
エルバートはディアムにフェリシアを託し、一人で客間に向かい、客間の扉を開け、中に入る。
すると、ソファーの右側にエルバートの父と母、左側にアマリリス嬢が座っており、すぐさまこちらを見た。
「エルバート、不祥事を起こすとは一体どういうことだ?」
エルバートの父が強張った表情で尋ねる。
「父上、母上、そしてアマリリス嬢、この度はご足労頂く形となり、申し訳ありません」
「本日はルークス皇帝の元にフェリシアをお連れすることとなっており、フェリシアと共に宮殿入りをした後、皇帝の間でルークス皇帝とフェリシアが初の対面をなされ、そのご様子をフェリシアの傍で見守っておりました」
「しかしながら、突如、魔が私とフェリシアの後方に現れ、更に私とルークス皇帝の動きを一瞬封じられたことによりフェリシアが私を庇い、その後、私とルークス皇帝で魔を浄化致しましたが、フェリシアのみ頭を床に打ち付けたことと魔の影響により一部の記憶、私の記憶を喪失する結果となりました」
そのことを聞き、エルバートの父達全員が驚きの表情を浮かべる。
「フェリシア様が記憶を喪失してしまわれるだなんて……」アマリリス嬢が動揺した声を上げると、エルバートの父は右手で顔を覆う。「ルークス皇帝までも上回る魔の出現だと?」「そしてルークス皇帝を危険に晒したとなれば軍師長の座を降ろされるのは間逃れないか」「旦那様……」エルバートの母が声をかけ、エルバートはアマリリス嬢を見る。「よって、フェリシアの記憶喪失、そして一時とはいえ、ルークス皇帝を危ない目に合わせてしまった私はまだ未熟である為、アマリリス嬢とのご婚約は破棄させて頂きたく思います」アマリリス嬢が両目を見開くと、エルバートの母が怒りの声を上げる。「ご婚約を破棄するですって!? エルバート、どれだけブラン家に泥を塗るおつもりなの!?」「そもそも、本日の魔の出現はフェリシアさんが原因ではなくて?」「ブラン伯爵邸の付近に魔が出現したのだって、フェリシアさんが訪れた日だったもの。間違いないわ」「だからこれ以上、フェリシアさんとエルバートが関わることを私は決して認めなくてよ」「それに、貴方のことを忘れたのなら丁度良いじゃない。あんな不吉なお人など責任を全て負わせ、今すぐお捨てなさい」「そして、エルバートには旦那様がお決めになられた通り、2日後、アマリリス嬢をブラン公爵邸に住まわせ」「アマリリス嬢と正式にご婚約して頂くわ」エルバートの母がそう啖呵(たんか)を切った。「どこまでフェリシアを愚弄すれば気が済む」エルバートはとてつもない冷ややかな殺気を放つ。まさに、その時だった。失礼致します、と皇帝の側近が扉を開け、中に入って来た。「ルークス皇帝により直々にお言葉を頂戴致しましたので伝達に参りました」「このお言葉は皇帝専用の医務室におられるフェリシア様、ディアム様にも伝わるようになっております」ルークス皇帝がお言葉を?
* * *――――フェリシアをエルバートとの婚約の意を含めた“正式な花嫁候補”とする。医務室にいるフェリシアの心にルークス皇帝のお言葉が響く。まるで呼びかけられているよう。頭に包帯を巻いたまま、ベットから上半身を起き上がらせ、その身をディアムに支えられながらも、その声に触れるように、そっと自分の胸に両手を重ねる。するとなぜだか分からないけれど、自然と涙が溢れ出た。フェリシアはそのまま、ルークス皇帝のお言葉を聞き届けた。* * *客間でルークス皇帝のお言葉を聞き届けたエルバートは唖然と立ち尽くす。まさか、軍師長の座だけでなく、フェリシアをも守って頂けるとは。エルバートの父と母、そしてアマリリス嬢は絶句し、光がすぅっと消えると、ルークス皇帝の側近は手紙を懐に入れ、口を開く。「ルークス皇帝のお言葉は以上となります」「ならば、帰る」エルバートの父がそう言い、ソファーから立ち上がる。それを見た母とアマリリス嬢も続けて無言で立ち上がった。「では、私が宮殿の出入り口までお送り致します」ルークス皇帝の側近がそう言って扉を開け、エルバートの父と母はエルバートがこの場に存在していないかのような態度で客間から出ていき、アマリリス嬢もふたりに続いて出て行こうとする。しかし、立ち止まり、エルバートを見つめた。「エルバート様、お幸せに」アマリリス嬢は涙を浮かべながら笑顔を見せ、お辞儀をして客間から出て行く。これで、フェリシアはブラン公爵邸から出て行かずとも済むのだな。「ルークス皇帝、恩に切る」エルバートはそう感謝し、顔を右手で覆う。そのまま少し時が過ぎると、フェリシアがいる医務室へと向かった。* * *フェリシアはディアムに心配されながらも医務室のベットで起き上がったままでいた。すると医務室の扉が開かれる音が
* * *それからこの日を境にフェリシアは落ち着くまでブラン公爵邸に帰宅させることは出来ないと、祓いの力を持つ医務室の天才医師に診断され、しばらくの間、医務室で治療を受けることとなった。その為、エルバートとディアムも宮殿で寝泊まりすることになり、エルバートからリリーシャ達にその皆を伝えるように命じられたディアムは一旦馬で帰り、自分のせいで、ふたりに多大な迷惑を掛けることになった。早く思い出さなければ。そう思ったフェリシアは医務室に戻って来たディアムに密かに頼み、エルバートが執務で忙しい時に、アベル、カイ、シルヴィオに医務室まで来てもらい、エルバートのことを聞いた。「軍師長の様子なら、執務に集中出来ていない感じですね。着替えもせず、髪もくくったまま、フェリシア様のことばっか考えてますね」「カイ、そんなふうに言ったらフェリシア様が気にするだろう?」「フェリシア様、申し訳ない。でもまあ、フェリシア様が初めてだな、エルバートに色々な顔をさせるのは」アベルに続いて、シルヴィオも口を開く。「冷酷な鬼神だったのに今は惚気ているな」「誰が冷酷な鬼神だ」エルバートがそう言って医務室に入ってくる。「おかしいと思って来てみれば、さっさと出て行け!」エルバートに命じられ、アベル達はフェリシアに会釈をして医務室から出ていった。その後は毎日少しずつディアムからエルバートのことを聞いた。エルバートがフェリシアの家にご婚約の手紙を届けたことからブラン公爵邸で暮らすことになったこと、普段は月のように美しい銀の長髪を流したままなこと、ビーフシチューがお好きなこと、ご主人さまと呼んでいたこと等、これまでの日々のことを。けれど、思い出すことが出来ず、エルバートのことを朝も昼も夜もずっと考え続け、いつしか、8日目の夜になっていた。宮殿のお料理は病人食とは言え、どれも自分には高級で美味しい。けれど早く帰り、自分
* * *「この度はご婚約の手紙をありがとうございます」大広間で頭を下げ跪いたまま、続けて、フェリシア・フローレンスにございます、と名乗ろうとした。けれど、名乗らせてはもらえず。「こちらを見ろ」命じられ、フェリシアは頭を上げる。しかし、ショートベールのせいで、椅子に座っているのが分かる程度で、薄らとしか、婚約の相手の顔が見れない。「顔を出せ」言われた通り、ショートベールを恐る恐る上げて後ろにめくる。婚約の相手は、魔除けの耳飾りにネックレスに、軍服を着た月のように美しい銀の長髪の、絶世の冷酷な美青年だった。「晩飯を作れ」「そして」「これからは私の事をご主人さまと呼べ」「かしこまりました」フェリシアは、ただただ一礼をする。一通の婚約の手紙が届いた先に待っていたのは、愛のない主従関係の婚約。けれど、尽そう。例え、一生、幸せは訪れないのだとしても。* * *パリーンッ!ブローチが嫌な音を立てて割れる。手狭な居間に座るフェリシアは編み紐により両手を後ろで縛られ抵抗できず、伯母にブローチを床に勢いよくぶつけて割られるのをただ目の前で見つめることしか出来なかった。フェリシアは床の割れて欠けた鮮やかなブルーのブローチを見て涙を流す。(両親の形見であるブローチ、守れなかった)「あなたみたいな出来損ないを外に出すだけで恥ずかしいっていうのに」「こんな収入しか稼げないだなんて!」「申し訳ありません」激怒する伯母にフェリシアは頭を下げ、謝ることしか出来なかった。此処(ここ)、異世界に存在するアルカディア皇国では魔を祓う力を持つ者が権力と地位を得て、国を魔から守っている。そして、最高地位の皇帝の座は前皇帝が魔に殺されて亡くなったため、現皇帝が若い年齢で継いでおり、アルカディア皇国に勤めが決まった者は命の危険に晒される時があるものの将来安泰。人々の憧れの皇国である。そんな皇国とは無縁の、小さな古びたボロ家に住むフェリシアは、今年で18歳。両親を3歳の時に魔に殺されて亡くし、父には身寄りがなかった為、母の姉にあたる伯母、ローゼ・フローレンスに引き取られ、2人で暮らしている。だが、伯母はロクでもない男と遊び歩き、働かない為、下級料理番としてお屋敷に雇われたフェリシアの収入だけが頼りで、貧乏な暮らしとなっている。それゆえ、
* * *ある日の夜のこと。フェリシアはあるお屋敷の台所で下級料理番として仕事をこなしていた。ピンクがかった長い黒髪は邪魔になるのでくくり、頭巾を付け、汚れたドレスを隠すよう、エプロンを腰に巻いている。料理を作る台所は天井が高く、煙を逃がす窓があり、壁に調理器具がかけられ、茶色の長机にはお皿に盛り付けられた色んな種類の豪華な料理が並べられている。そしてこの場にはシェフ、上級料理番が3人おり、下級料理番はフェリシアを含めて6人いて、忙しそうに働いている。その中でもフェリシアは長年務めていることにより、下級でも特別に一品だけ料理を任されていた。けれど、どの料理も綺麗な盛り付けで、下級の自分にはとても同じようには出来ない。それでも出来る限り、完成したビーフシチューをお皿に綺麗に盛り付け、そのお皿に白く美しい花を添える。(よし、今日もなんとか綺麗に出来たわ)そう、安堵すると、料理運びである着飾った女主人のイラついた罵声が飛んでくる。「何やってんだい、早くこっちの机に置きな」「お出しする前にビーフシチューが冷めちまうだろう」「はい、申し訳ありません」フェリシアは料理台から茶色の長机に完成したビーフシチューのお皿を置く。すると、女主人はブツブツ嫌味を言いながらもお盆にそのお皿を乗せ、他の豪華な料理と一緒に運び、台所から出ていく。そんな中、開いた扉から貴婦人達の声が聞こえてくる。「ねぇ、お聞きになりまして?」「エルバート様が花嫁を探していて、選ばれた家にはエルバート様の直筆の婚約の手紙が届くそうよ」「エルバート様って、今年で21歳になられるルークス・アルカディア皇帝に仕え、公爵家のお家柄で魔討伐の軍の中でも絶対的権力を持つ軍師長である、あの、エルバート・ブラン様!?」「えぇ、でもエルバート様は冷酷で愛のない人らしく、よほど気に入られない限り、すぐに婚約を破棄されるだろうとのご噂よ」「そんなご噂が。呪いの手紙なんて来て欲しくないわ」貴婦人達がそう零(こぼ)すのを聞いたフェリシアは、ふぅ、と息を吐く。(わたしには全く関係のない噂ね)* * *「ローゼ伯母さま、只今、戻りました」仕事を終えたフェリシアは、ボロ家の居間に座る伯母の後ろで跪き、いつも通り報告する。(今日も帰ってくるのが深夜になってしまった……。きっと罵声を飛ばされ
* * *翌日、フェリシアが乗った高級な馬車が揺れ動く。行き先はエルバートのところ。「可哀想に」周りから 憐(あわ)れみの言葉を投げかけられた。すぐに婚約を破棄され、捨てられると思っているのだろう。フェリシアはショートベールで顔を隠し、ドレスを着た姿が馬車の内窓に薄らと映り、それをただじっと見つめる。ショートベールはミサの為に持っていたもの。そしてこの透き通った美しいドレスは母が生前に自分の為に用意してくれていたものだと昨日、頭を下げた後に伯母から手渡された。母の想いにボロ部屋で一人、ドレスを眺め、号泣しそうになったけれど、嫁ぐというのに泣き顔を作ってはならないと、ぐっと堪え、そのまま一睡もできず、今もなお、涙を堪える。そして、両親が生きている時のことは朧(おぼろ)げだけれど、両親は愛のある結婚をし、自分は愛されていたのだという実感は今も残っている。だから、救いのない日々を送ってきた自分も、日々、働き、家事に本を読んで勉強をこなし、懸命に生きてさえいれば、いつかは死んだ両親のように、シンデレラのように愛のある王子様と結ばれ、幸せに暮らせるようになるのだと自分に言い聞かせてきた。けれど、そんな夢物語なような期待は簡単に崩れた。待ち受けていたのは、“好きでもない人のところへ売られるかのごとく嫁ぐ”という絶望の現実だった。手紙によると、エルバートは今年で22歳。自分より4歳年上だという。絶対的権力を持つ軍師長、エルバートが何故、力を持たず、貧乏な生活を送る自分に縁談話を持ちかけてきたのか分からないが、勤めを全うするしかない。どんなに嫌な顔をされようとも。* * *しばらくして馬車は森を抜け、アルカディア皇国近くのエルバートの家、ブラン公爵邸に横づけして止まった。肩上くらいの長さの髪をした御者の青年に手を引かれ、フェリシアは馬車から降りる。自分を迎えに来た際、エルバートの側近のディアム・アーラだと名乗っていたことを思い出しつつ、前を見ると、ブラン公爵邸は大きな洋風の館だった。下級料理番として雇われていたお屋敷よりもはるかに大きく、小さな古びた家で暮らしてきたこともあり圧倒され、場違いすぎて恥ずかしくもなった。間もなくして、屋敷の扉が開き、一つ結びをした壮年の案内役が出てくる。「フェリシア様、お待ちしてお
お互いの顔がはっきりと見えると、エルバートは冷酷な表情を崩さず、口を開く。「晩飯を作れ」「まず今日はビーフシチューだ」「そして」「これからは私の事をご主人さまと呼べ」「かしこまりました」フェリシアは、命令を受け入れ、ただただ一礼をする。エルバートに尽すことを心に強く誓いながら。「では、時間が来るまでゆっくり休め」エルバートにそう冷たく言われたフェリシアは、すぐさま、案内人に部屋へと案内される。そして、初めて見る、自分には勿体ないほどの上等な部屋。一人きりになったフェリシアは持ってきていた両親の割れた形見のブローチをぎゅっと胸に抱き、落胆する。最初から分かっていたことだったけれど。(ここでもわたしは奴隷扱いなのね……)* * *その夜、食事室の椅子に座るエルバートに晩ご飯のビーフチューをお出しする。ブラン公爵邸の台所は、もはや厨房で、雇われていたお屋敷の台所とは比べられないほど広く綺麗で、エルバート以外の料理を任されている自分より2歳年上の、肩までの髪をくくったメイド、リリーシャ・ペルレと共に、このような場で、ビーフシチューを作っていいものかと身が竦(すく)んだ。けれど、白く美しい花は持って来られず、添えることは出来なかったもののなんとか、完成させ、お出ししたが、下級料理番が作ったビーフシチューなど口に合うとはとても思えない。「座れ」「はい、失礼致します」フェリシアは座らせて頂けることに驚きつつも、空のお盆を持ったまま、向かいの椅子に座る。そして、ぴりりと冷ややかな空気が流れる中、エルバートはビーフシチューをスプーンですくい、口にした。――ああ。尽そうと決めたばかりだというのに。(もうご婚約を破棄され、捨てられてしまう!)「――――この味だ」エルバートの言葉にフェリシアは両目を見開く。(この、味?)「あ、の?」「やはりあの屋敷のビーフシチューを作っていたのはお前で合っていたのだな」「え、わたしが雇われていた屋敷に、通われて?」「あぁ、その屋敷では軍の会議が常に行われており、その度に私は料理を食べていた」「そして館には男性の料理人を雇い、女性の料理人も試したが、どれも口に合わず、軍師長の仕事のモチベーションも下がっていたのだが」「お前の料理に興味を持った」「そして、お前が出す全ての料理
「特にビーフシチューは興味を持つキッカケとなった料理で、最近また口にしたばかりだからすぐに同じ味だと分かった」「そう、だったのですね」フェリシアは涙を右手で拭いながら返す。「あぁ。だが、婚約の手紙を届け、お前を花嫁候補にした理由はもう一つある」「え、もう一つ……?」聞き返すと、エルバートは真剣な眼差しを向ける。「調べた結果、お前の両親が魔を祓う力を持つ者だったからだ」「え、そんなはずは」フェリシアが動揺するも、エルバートは話を続ける。「料理の皿にいつも添えていた花が、魔を祓う効果のある花だった」「その花を知っているということは力を持った家系かもしれないと思ったから調べた」「自分の花嫁候補にする者が力があるかどうかは私に取っては大きく、いくら食事が自分にあっていても、力がない者は花嫁候補にはしない」「今までも自分の近くに置く者はすべて力があるか、どのような家系であるかは調べている」フェリシアはそれを聞いて驚く。母に花を添えるといいと教えられていたことをぼんやりと覚えていて、実行していたけれど、まさか、花に魔を祓う効果があっただなんて。それだけではなく、伯母に嘘をつかれていた?伯母なら嘘をついてもおかしくない。「ともかく、毎日、美味い飯を作ってくれ」「はい」命じられたフェリシアがそう短く答えると、エルバートは更に付け加える。「そして、明日の晩はお前もここで食べろ」「はい…………え?」フェリシアは唖然とする。伯母と食事をする時はいつも伯母に罵倒されながら食べ終わるのを見守り、その後は食事を抜きにされるか、一人で食べたりしていた。だから、エルバートのような雲の上のような人が、自分と食べるなどという発想が全くなかったのだ。「いいな?」「は、はい」念を強く押され、フェリシアは肯定するほかなかった。(力のためにと打算的な人柄かと思ったけれど、真実を教えてくれただけで優しい人なのかもしれない)* * *翌日の朝になり、フェリシアは玄関でエルバートをお見送りする。フェリシアが作った朝ご飯、エッグベネディクトを早く済ませて勤めに出ることを寝る前に聞いており、朝はゆっくりできないから晩に一緒に食べることにしたのだと納得した。けれど、今日のエルバートは勲章がたくさん付いた高貴な軍服を着て、髪をなぜか麻紐で一つにくくり
* * *それからこの日を境にフェリシアは落ち着くまでブラン公爵邸に帰宅させることは出来ないと、祓いの力を持つ医務室の天才医師に診断され、しばらくの間、医務室で治療を受けることとなった。その為、エルバートとディアムも宮殿で寝泊まりすることになり、エルバートからリリーシャ達にその皆を伝えるように命じられたディアムは一旦馬で帰り、自分のせいで、ふたりに多大な迷惑を掛けることになった。早く思い出さなければ。そう思ったフェリシアは医務室に戻って来たディアムに密かに頼み、エルバートが執務で忙しい時に、アベル、カイ、シルヴィオに医務室まで来てもらい、エルバートのことを聞いた。「軍師長の様子なら、執務に集中出来ていない感じですね。着替えもせず、髪もくくったまま、フェリシア様のことばっか考えてますね」「カイ、そんなふうに言ったらフェリシア様が気にするだろう?」「フェリシア様、申し訳ない。でもまあ、フェリシア様が初めてだな、エルバートに色々な顔をさせるのは」アベルに続いて、シルヴィオも口を開く。「冷酷な鬼神だったのに今は惚気ているな」「誰が冷酷な鬼神だ」エルバートがそう言って医務室に入ってくる。「おかしいと思って来てみれば、さっさと出て行け!」エルバートに命じられ、アベル達はフェリシアに会釈をして医務室から出ていった。その後は毎日少しずつディアムからエルバートのことを聞いた。エルバートがフェリシアの家にご婚約の手紙を届けたことからブラン公爵邸で暮らすことになったこと、普段は月のように美しい銀の長髪を流したままなこと、ビーフシチューがお好きなこと、ご主人さまと呼んでいたこと等、これまでの日々のことを。けれど、思い出すことが出来ず、エルバートのことを朝も昼も夜もずっと考え続け、いつしか、8日目の夜になっていた。宮殿のお料理は病人食とは言え、どれも自分には高級で美味しい。けれど早く帰り、自分
* * *――――フェリシアをエルバートとの婚約の意を含めた“正式な花嫁候補”とする。医務室にいるフェリシアの心にルークス皇帝のお言葉が響く。まるで呼びかけられているよう。頭に包帯を巻いたまま、ベットから上半身を起き上がらせ、その身をディアムに支えられながらも、その声に触れるように、そっと自分の胸に両手を重ねる。するとなぜだか分からないけれど、自然と涙が溢れ出た。フェリシアはそのまま、ルークス皇帝のお言葉を聞き届けた。* * *客間でルークス皇帝のお言葉を聞き届けたエルバートは唖然と立ち尽くす。まさか、軍師長の座だけでなく、フェリシアをも守って頂けるとは。エルバートの父と母、そしてアマリリス嬢は絶句し、光がすぅっと消えると、ルークス皇帝の側近は手紙を懐に入れ、口を開く。「ルークス皇帝のお言葉は以上となります」「ならば、帰る」エルバートの父がそう言い、ソファーから立ち上がる。それを見た母とアマリリス嬢も続けて無言で立ち上がった。「では、私が宮殿の出入り口までお送り致します」ルークス皇帝の側近がそう言って扉を開け、エルバートの父と母はエルバートがこの場に存在していないかのような態度で客間から出ていき、アマリリス嬢もふたりに続いて出て行こうとする。しかし、立ち止まり、エルバートを見つめた。「エルバート様、お幸せに」アマリリス嬢は涙を浮かべながら笑顔を見せ、お辞儀をして客間から出て行く。これで、フェリシアはブラン公爵邸から出て行かずとも済むのだな。「ルークス皇帝、恩に切る」エルバートはそう感謝し、顔を右手で覆う。そのまま少し時が過ぎると、フェリシアがいる医務室へと向かった。* * *フェリシアはディアムに心配されながらも医務室のベットで起き上がったままでいた。すると医務室の扉が開かれる音が
「フェリシア様が記憶を喪失してしまわれるだなんて……」アマリリス嬢が動揺した声を上げると、エルバートの父は右手で顔を覆う。「ルークス皇帝までも上回る魔の出現だと?」「そしてルークス皇帝を危険に晒したとなれば軍師長の座を降ろされるのは間逃れないか」「旦那様……」エルバートの母が声をかけ、エルバートはアマリリス嬢を見る。「よって、フェリシアの記憶喪失、そして一時とはいえ、ルークス皇帝を危ない目に合わせてしまった私はまだ未熟である為、アマリリス嬢とのご婚約は破棄させて頂きたく思います」アマリリス嬢が両目を見開くと、エルバートの母が怒りの声を上げる。「ご婚約を破棄するですって!? エルバート、どれだけブラン家に泥を塗るおつもりなの!?」「そもそも、本日の魔の出現はフェリシアさんが原因ではなくて?」「ブラン伯爵邸の付近に魔が出現したのだって、フェリシアさんが訪れた日だったもの。間違いないわ」「だからこれ以上、フェリシアさんとエルバートが関わることを私は決して認めなくてよ」「それに、貴方のことを忘れたのなら丁度良いじゃない。あんな不吉なお人など責任を全て負わせ、今すぐお捨てなさい」「そして、エルバートには旦那様がお決めになられた通り、2日後、アマリリス嬢をブラン公爵邸に住まわせ」「アマリリス嬢と正式にご婚約して頂くわ」エルバートの母がそう啖呵(たんか)を切った。「どこまでフェリシアを愚弄すれば気が済む」エルバートはとてつもない冷ややかな殺気を放つ。まさに、その時だった。失礼致します、と皇帝の側近が扉を開け、中に入って来た。「ルークス皇帝により直々にお言葉を頂戴致しましたので伝達に参りました」「このお言葉は皇帝専用の医務室におられるフェリシア様、ディアム様にも伝わるようになっております」ルークス皇帝がお言葉を?
フェリシアの言葉を聞き、エルバートとルークス皇帝は両目を見開く。まだ混乱している、のか?「フェリシアよ、我のことは分かるか?」「ルークス皇帝……?」ルークス皇帝のことは分かるようだな。「フェリシア、私はエルバート・ブランだ」「エルバート・ブラン?」フェリシアはその名前を口にした瞬間、頭痛が起きて意識を失い、くたっとなった。「フェリシア!!」エルバートは叫ぶ。「エルバートよ、これより酷な事を言うが」「フェリシアの身体は大事ないようだが、どうやら頭を打ちつけたこと、そして魔の影響で一部の記憶を」「お前の記憶を喪失したようだ」エルバートの瞳が揺らぐ。まさか、そのような、嘘だろう?エルバートは切なげな顔でフェリシアを強く抱き締める。「フェリシア……」その後、皇帝の間に皇帝の側近、ディアム、兵達が駆け入り、ルークス皇帝が魔に襲われエルバートと共に浄化したことを伝え、念の為、ルークス皇帝も共に皇帝専用の医務室へ行くこととなった。そしてルークス皇帝とエルバートは大事なく、フェリシアは頭に包帯を巻き、ベットで安静となると、エルバートはルークス皇帝の前に跪く。「ルークス皇帝、責任を取り、私は軍師長を降ります」「エルバートよ、その必要はない。軍師長を辞める事は、許さん」「しかし……」「ただ、このままでは示しが付かないと我の側近が不祥事としてお前の両親に通達をした」「もうじき、宮殿に来るによって対面し、起こった事を全て伝えることとなる。良いな?」「承知致しました」* * *やがて、エルバートの父であるテオと母のステラ、そしてアマリリス嬢が馬車で宮殿に到着し、客間に案内され、待機の状態になったとのことで、エルバートはディアムにフェ
* * *「フェリシア!!」エルバートの悲痛な叫び声が皇帝の間に響き渡る。フェリシアが魔に弾かれた時、彼女の口元が微かに動いたように見え、お ま も り で き てよ か っ たそう言っているように思えた。恐らく、フェリシア自身は気付いていない。心の中で思った言葉が自然と口に出たのだろう。エルバートはフェリシアの元に駆けようとするも、ルークス皇帝の姿が目に入り、ぐっと堪える。フェリシアを今すぐにでも助けたい。だが、(私はルークス皇帝に仕える身。ルークス皇帝を優先に守らねば)エルバートは切なげな顔を浮かべる。すまない、フェリシア。少しの間、待っていてくれ。エルバートは冷酷な顔で剣に手をかけ、抜く。「魔め、フェリシアをよくも!」「ルークス皇帝には触れさせない」魔は袖の中で左右の手を合わせ礼をする仕草から両袖をバッと広げ、少し見えた左右の手から黒き液体のような炎を無数に放つ。エルバートはその炎を瞬時に斬り、浄化していく。だが、一部の炎が軍服の袖を少しかする。すると袖が少し溶けた。袖だけで済んだが、この炎は触れたものを全て溶かすらしいな。魔は炎を放ち続け、エルバートも斬り、浄化し続ける。「くっ」これではキリがない。そう思った時だった。神の憤りのような物凄い気迫を感じた。すると魔も感じ取ったのか固まる。「エルバートよ、我と共闘せよ」玉座から立ち上がったルークス皇帝が気迫を放ちながら言い、玉座の踏段を凛々しい光を司る神のような姿で下りてくる。そして、エルバートの隣で剣を抜く。「今から詠唱を唱える」「お前にも詠唱の言葉を脳裏に流すによって、続けて唱えよ」「はっ! ルークス皇帝の仰せのままに」エルバートがそう答
「フェリシア、そしてエルバートよ、顔を上げよ」フェリシア達は跪きながら顔を上げる。(帽子のショートベール越しでは、よくルークス皇帝のお姿が見えないわ…………)「フェリシアよ、顔が良く見えん。帽子を取れ」フェリシアは命じられた通り、帽子を取る。すると、天蓋付きの玉座につくルークス皇帝の姿が鮮明に両目に映った。美しい紫髪に、エルバートが言っていた通り、優しく穏やかな雰囲気で、(まるで、神様のようだわ)「ほう、これは別嬪であるな」フェリシアは唖然とし、エルバートも驚く。(わたしが別嬪!? お世辞かしら…………)「フェリシアよ、会えて嬉しく思うぞ」「どうだ? ここは心地良いだろう?」そう言われて気づいたけれど、確かにとても気分が良く、体も軽くなっているような。「はい、とても心地が良いです」「ここは特別な結界で守られているからな」「そして今日、エルバートにここに連れて来させたのは、お前のことを知りたいと思ったからだ」「よって、フェリシアよ、我の元へ上がってまいれ」「か、かしこまりました」(わたしのようなものが、ほんとうに上がっても良いのかしら…………)フェリシアはそう思いつつもルークス皇帝に命じられた通り、玉座の踏段を上がっていく。するとルークス皇帝が玉座から立ち上がる。「右手の甲を差し出せ」「は、はい」フェリシアは右手の甲を差し出す。「少しの間、触れる」ルークス皇帝はそう言い、フェリシアの右手の甲に触れた。そしてルークス皇帝は納得すると、触れるのを止める。「エルバートよ、そのような顔をするな」(あれ……? ご主人さま、な
宮殿内は豪華絢爛で、もっと圧倒され、すぐさま使用人達の注目の的となった。「あの方がエルバート様の胃袋をお掴みになられたフェリシア様?」「これからエルバート様と共にルークス皇帝とお会いなされるそうよ」「すごいわ。けれど、フェリシア様は今後エルバート様にご婚約を破棄され、エルバート様は正式にアマリリス嬢をお選びなられるとの噂よ」「そうなの? もし噂がほんとうならお気の毒ね」そんなコソコソ話を聞いても、圧倒されているせいか、さほど気にならず、やがて、執務室の前でルークス皇帝の側近が足を止め、フェリシア達も立ち止まった。「こちらが控え室となります」「控え室が執務室だと? 貴賓室の間違えではないか?」エルバートがルークス皇帝の側近に問いかける。「いつもおられる場所が落ち着くと思い、執務室と致しました。ルークス皇帝のご準備が整うまでこちらでしばらくお待ち下さい」ルークス皇帝の側近が執務室の扉を開け、ディアムは廊下で見張る為、フェリシアとエルバートのみ中に入る。するとメイドがワゴンで紅茶とお菓子を持って来て、テーブルに置き、出て行くと扉が閉まった。(ここがいつもご主人さまが執務をなされているお部屋……。書斎よりも広いわ)そう感激していると、エルバートがソファーに座る。「フェリシア、隣に座れ」フェリシアは声をかけられ、ハッとした。(つい、嬉しくて、ご主人さまを置き去りにしてしまっていたわ)「は、はい」フェリシアはエルバートの隣に座る。そして、エルバートと共に紅茶を一口飲む。(あ、美味しい……)少し気持ちが落ち着くと、廊下でディアムが誰かと話している声が聞こえ、扉が開く。優しそうな青年、明るく元気な青年、顔が整った青年が続けて入って来た。するとエルバートは嫌な顔をする。「ディアム、なぜ私に一言もなく開けた?」
「いや、笑うつもりはなかったのだが、お前を見ていたらつい、和んでしまった」「こうやって朝ご飯を共にするのも悪くないな」そう言われ、フェリシアもまた、心が和んだ。このような感じでやがて朝ご飯を終えると、部屋でリリーシャにお化粧、そして髪を整えてもらい、そのままリリーシャと共に大広間へと移り、エルバートが美しい容姿の仕立て屋に頼み、新たに仕立ててもらった高貴なドレスに着替えさせてもらい、更に準備してくれていた耳飾りに花とショートベールが付いた帽子も被せられ、薄らとしか周りが見えなくなった。「フェリシア様、ルークス皇帝の執事のお迎えが参りました」「お開けしても宜しいでしょうか?」ラズールの声が廊下から聞こえ、はい、と許可を出すと、大広間の扉が開き、ラズールに手を添える形で玄関まで行く。すると髪を麻紐で一つにくくり、勲章がたくさん付いた高貴な軍服姿のエルバートが待っていた。この姿はもう何度も目にしているのに、今日のエルバートは帽子のショートベール越しに、これまでで一番美しく、凛々しいように見えた。エルバートはフェリシアに気づき、その姿を見て一瞬驚き、いつもの冷酷な顔にすぐさま戻す。「馬車まで付き添う」「あ、はい、ありがとうございます」お礼を言った後、今度はエルバートに手を添える形でルークス皇帝の執事の馬車まで歩いて行く。すると手が離れ、心細い気持ちになった。けれど、エルバートはそれを察したのか、頭を撫でるように帽子のショートベールの部分に優しくぽんと触れ、瞬く間にフェリシアの心が温かくなった。フェリシアはルークス皇帝の執事により馬車に乗せられ、エルバートはその間にディアムとそれぞれ自分の高貴な馬に乗り、ラズール、リリーシャ、クォーツが集まり、頭を下げた形で見送られ、エルバートとディアムに守られながら、フェリシアを乗せた馬車が御者を務めるルークス皇帝の執事の手に
* * *――夜。フェリシアは書斎にいた。寝る前に大事な話があるとエルバートに言われ、ここまで一緒に来たけれど、(明日のお勤めのことかしら…………)「このソファーに座れ」「は、はい」フェリシアは命じられた通り、2人掛けのソファーの奥に座る。するとエルバートは目の前に置かれたひとり掛けのオシャレなソファーではなく、なぜか自分の隣に座った。「あ、あの、ご主人さま!?」「隣で話す方が話しやすいからな」(ご主人さまはそうかもしれないけれど…………)動くと手が触れてしまう、そんな距離間に、胸がドキドキしない訳もなく、直視出来ない。「それで今から大事な話をするが」「今朝、ルークス皇帝に呼び出された際、お前に一度会いたいとのことで、晩夏の2日前にお前を宮殿の皇帝の間まで連れてくるようにとルークス皇帝より直々に仰せつかった」それを聞いた瞬間、フェリシアは変な声を出す。「えぇ!?」「えぇって……お前、そんなにルークス皇帝とお会いするのが嫌か?」アルカディア皇国とは無縁だった自分が、まさか、ルークス皇帝とお会いすることになるだなんて。しかも、ブラン公爵邸を出ていくことになっている2日前に。「い、いえ、そうではなく……とても驚いたのと、その、大変おこがましいと言いますか……」「ルークス皇帝には皇帝に即位される前から長年仕えているが」「優しく穏やかな雰囲気で、仲間や民を誰よりも大切に思うお人柄なゆえ、そんなに恐縮せずとも大丈夫だ」(ご主人さまの大丈夫はほんとうに心強い)「わ、分かりました」「では、晩夏の2日前までに支度を整える」* * *フェリシアはルークス皇帝にお会いしても恥ずかしくないよう、日々、立ち振る舞いや身だしなみ等に気を付け、当日の早朝。フェリシアはベットの上で固まっていた。どうしよう